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のらねこの気まま暮らし

Perlについてとか、創作についてとか、発展途上の自分と向き合う記録。

またも作品をほうり投げた記録

創作 雑記

おはようございますな時間です。


はっ 別に面白くもなんとも無い小説なんて書いても意味ないだろう!?


という強がりはさておき、何度目になるか「この小説ってなんのために書いてるんだっけ?」とおもって手をおいてしまう僕の話です。


お金をもらっていない素人が小説とか漫画とか「物語」と呼ばれるものを書こうとするのには、何かしらの目的があると思っています。
「なんとなく」とか「お金」とかどこかのチケットとか、そういうものの為に「書くべきもの」を見つけ出す人は別として。

何か「書きたい」「書ける」ものがあるから、書いている方も楽しめる。
昔の僕はたぶん、夢とか空想の「あ、こんなんやったらおもしろそ」というのを糧にガリガリ書いていたような気がします。

まあ、でも最近はそうもいかない。
それは僕が現実主義になったとか、夢を見れなくなったとか、創作意欲がなくなったとか、そういうことではないと思う。
前に比べればそういうことに費やす時間もエネルギーも減った気はするけど。


原因は、たぶん「物語の設計」にあるんだと思う。
「こういうお話」を書きたいと思って「企画立て」する段階、そしてそれに具体性を持たせてストーリの詳細を詰めていく。
詳細を詰めていく段階で、「ここの主人公ってなんでこうするんだ」「ヒロインはどうしてこうするんだ」と考えているうちに、だんだん企画からそれていく、あるいは、その段階で決定していなかった「大切な何か」がズレてきちゃって、気づいた時には、当初書こうと思っていたものとは違うものになってしまう。


たぶん僕はそういうことを繰り返している。
楽しむことを目的に始めたことを、自分が楽しめていないのであれば、それを続ける意味を見いだせない。


僕は、なんとなくではあるけれど、こういう「作品の変容」に気づきつつも無理やり押し通そうとしていたことに薄々気づいていたんだけど。
でもやっぱり、原点回帰とはいかなくて。


だからこそ思うのは、強く明確でシンプルな根底理念を植えつけなければダメ。
いっときの衝動はいっときまでしか続かない。一ヶ月その作品に触らずにいて、一ヶ月後も同じように続きを書けるような、堅牢な設定が必要。
でもそれは、タブン卜部の「舞台はどこどこで、登場人物は何人で」とかよりも、もっと、キャラクターの心情にそった、そしてなによりも僕が「書きたいと思った」ことを、ひと月後も思える何かを示して置かなければならない。


それは、本当に難しいことだとは思うのだけど。
ま、次なる挑戦が見えたってことで、ドンマイ。いずれかたちにする。



余談だけれど、C82に申し込んだ。
空のお皿を用意するのは大切だよね。